今年もいよいよ東京マラソンの季節が到来し、レース前の調整法が雑誌等で紹介されている。これまであまり注目されなかったが、栄養食品やサプリメントの普及で、一般の人にも食事法に関する知識は浸透しつつある。トップ選手は管理栄養士などを雇って徹底的に管理してきたが、それが一般の人、しかも普通に社会生活を送りながらでもできるようになってきたのもランニングブームの影響かもしれない。
フルマラソンを走るには2000~3000kcalが必要だと言われている。これは実に一般成人の1日の摂取カロリーに匹敵する。ところが一般の人が2~3時間何も食べずに、これだけの運動量を維持するためには、普段の食生活を送っていたのでは難しい。1日3食というライフスタイルは普段の活動量に合わせて取り込まれ、体もその感覚をよく覚えている。そのため、試合やレースの前に思い切り食べてもあまり意味がないのだ。少なくとも1週間は食事と運動のバランスを整えて臨みたい。
三大栄養素とは、糖質、脂肪、たんぱく質である。これらに共通するのは「エネルギー源」となること。このうち単位量あたりのエネルギー産生量が最も多いのは脂肪であるが、なかなか燃えにくい。特に皮下脂肪はほとんど燃えず、血中の脂肪が少し燃える程度だ。運動が始まって最初に燃えるのは血液中の糖質である。それがなくなるとグリコーゲンとして肝臓や筋肉に蓄えられていた糖質が利用される。走り始めて30分ほど立つと血中の脂肪が燃えだす。有酸素運動の効果が一番出始める時間帯だ。問題はそのあとである。人間の脳は糖質だけをエネルギー源としているため、糖質が少なくなると人間は必然的に糖質を脳へ回そうとする。するとスタミナ切れを起こす。飢餓状態では筋肉や細胞のタンパク質を破壊してエネルギーを作り出そうとするが、これは末期的な状態だ。レースではこのスタミナ切れをなんとか抑えたいところだ。
最近ではレースの3日前から糖質の源である炭水化物を摂取するのが流行っている。それ以上やっても体重が増えてしまうだけで、あまり効果はないようだ。それからストレスやお酒も余計な糖質を使うため、できれば避けておきたい。レース当日はごはんや餅など、ゆっくり糖質が吸収される食べ物を摂ることが望ましい。
他の競技でも試合や練習間隔で応用されている。そしてどの競技にも言えることは、試合やレースのあとには損傷した筋肉を修復するために、たんぱく質の多い食事を摂取すること。たんぱく質には植物性由来と動物性由来があるが、前者は細胞など組織の修復、後者は筋肉の修復に効果があるという。コンタクト性の高いラグビーやアメリカンフットボールの選手では試合後にホエイプロテイン(動物由来)を摂取しているシーンをよく見かける。筋力を落とさずに次の練習や試合に臨むのも彼らの日常である。
全般的に見ると三大栄養素だけでなく、ビタミンやミネラルなどの微量素栄養素もバランスよく摂ることも大切である。特に鉄分は血液を産生する原料であり、ビタミンB群はエネルギー産生に必要だからだ。スポーツがきっかけとなって、食事面での健康に気を配るようになることはいいことなのかもしれない。それでも過度にやってしまうことはストレスを溜めることになるため禁物だ。
最近は走り方教室が行われる一方で、座学としてスポーツ栄養学の講義も行なわれている。もし記録に挑戦したい方はそういった講座に出てみるのもいかがでしょうか。
1961年に制定され、これまで日本のスポーツ政策の根幹となっていた「スポーツ振興法」が50年ぶりに見直され、昨年6月に「スポーツ基本法」が成立しました。法律の施行は既に8月24日からスタートしています。どんな部分が変わっていくのかというと、この法律を元に策定される「国のスポーツ基本計画」を見てからでないとなんとも言えない状況です。法律が成立した日、多くのマスコミは「スポーツ庁設立へ第一歩」という論調で記事を掲載していましたが、条文では附則に「検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずる」と盛り込まれているに過ぎません。現在、スポーツは文部科学省、厚生労働省、経済産業省などに管轄が分かれており、スポーツ政策を統括する「スポーツ省」「スポーツ庁」が設置されることは、スポーツをする人にとって嬉しいことですが、現実はまだ先と言ったところでしょうか。各条文を読めば読むほど、あるいは読む人によって、様々な解釈がでてきそうな「スポーツ基本法」。「スポーツ振興法」との違いはどこにあるのでしょうか?
一番大きな点は「スポーツをする権利」が日本で初めて明文化された法律であることです。ヨーロッパでは1975年3月の「みんなのスポーツ憲章」で既に明文化されていました。改めて考えてみますと、スポーツをする権利は当たり前のものだと思っていました。スポーツ基本法ではすべての国民がスポーツをする権利と楽しむ権利があることを明確にし、国や自治体はそれを保証する責任を負うということです。ここに大きな特徴があります。
また「スポーツ基本法」成立以来、私たちの身の回りで用語の改定を感じた方もいるかと思います。「体育指導員」が「スポーツ推進委員」になり、「体育」という言葉の範囲が狭くなった感じがします。またスポーツに関し「振興」から「推進」へ言葉が置き変わっているものもあります。とは言え「スポーツの振興」や「体育」がまったくなくなってしまうわけでなく、その辺にこの新しい法律を読み解くヒントがあると思います。そこで「スポーツ基本法」を読み解く前に、まずは「スポーツ振興法」が成立した時代のことを考えてみることにしましょう。
「スポーツ振興法」が成立した1961年は、東京五輪を3年後に控え、日本は戦後から急激な近代化が求められていた時代であり、新幹線、空港、高速道路などのインフラが急ピッチに進められていました。
スポーツの世界でも競技施設が建設整備され、多くのメダルを獲得することで国力の高揚や国民の敗戦意識からの脱却につながるものとして、スポーツは大きな使命を負っていました。この流れは東京五輪、札幌冬季五輪へと続き、国内のスポーツは競技種目が主体となって牽引してきました。その中心的な存在となったのは、企業スポーツです。東京五輪で金メダルを獲得した女子バレーボールは選手全員が実業団所属。その後、バレーボール人口が増加し、全国婦人バレーとして、市民に身近なスポーツとして定着していきました。
一方で「バレーボールをする体育館を建てて欲しい」という国民の希望は、スポーツ権として日本国憲法で保障する当然の権利と言えました。つまり「スポーツ振興法」では、スポーツ施設の建設を国民が求めていくことが、スポーツの振興につながっていくとされていました。具体的には、競技団体が中心となって国や自治体に嘆願し、国民体育大会の開催等をきっかけに多くのスポーツ施設が建てられました。「スポーツ振興法」はこのような時代背景のもとで、その役割を担ってきました。
時は流れて、バブル経済が崩壊して低成長期に入ると、実業団の運動部で廃部や解散が相次ぎました。そして、国民のスポーツへのニーズが「健康意識」へと変化していきました。スポーツ振興が「箱モノを建てること」や「多くのメダルを獲得すること」であることに、ギャップを感じるようになりました。その1990年代に生涯スポーツの重要が叫ばれるようになりました。その生涯スポーツは身近な生活地域である市区町村域で、生活圏ごとの実情に即した計画的な整備が求められるようになってきます。また、健康の保持増進のためにライフステージごとにスポーツを楽しめる環境づくり、生涯スポーツ社会の実現が課題となってきました。
1999年に文部科学省より発表された「スポーツ振興基本計画」は改定を重ね、国民の誰もが体力、年齢、技術、興味、目的に応じてスポーツを楽しむことのできる社会を実現することを政策目標に掲げました。その中に「総合型スポーツクラブ」という言葉が初めて登場し、「2010年までに全国各市区町村に少なくとも1つは総合型スポーツクラブを設立すること」が盛り込まれました。つまり、学校や企業依存の活動基盤から、地域住民主体の活動基盤への構造改革です。
総合型スポーツクラブとは、子どもから大人までの「多世代」、自分の好きな種目を選べる「多種目」、交流、健康、体力づくりやレベルに応じて参加するステージをもつ「多志向」という3つのコンセプトがあります。これまでのスポーツは、性別、年齢、種目が限定的であり、これらを乗り越えて住民自らが主体となって運営されるスポーツクラブです。
これらを踏まえたスポーツ政策が、やがて「スポーツ基本法」へとつながっていきます。次回は、この「スポーツ基本法」を具体的に読み解いていきましょう。
川中島フラッグフットボール教室「フラッグフットをはじめよう」も今年で3回目を迎えました。前回まではクラブオックス川崎AFCの選手とともに地域コミュニティの皆さんとフラッグを体験するイベントでしたが、今回はそれに加えて、小学校の先生、わくわくプラザの職員、指導ボランティアの立場から「どう見守っていくか」あるいは「どう授業を組み立てていくか」ということにもポイントを置きました。

地域の小学校の授業を巡回していると「(フラッグが)指導員の巡回している3回の授業で終わってしまう」というパターンが多く、その後続かない理由に「(教員の立場として)見守り方、技術面の指導が3回だけでは理解できない」という声を多く耳にしました。
フラッグフットボールは「お互いを助け、協力し合いながら1つのボールを運ぶ」という教育面で非常によい特徴があります。しかし、そこまで到達するには基本的なルールや動作が総合的にしっかりわかっていないとできません。これは言葉ではなかなか教えることが難しいのです。
そこでコミュニティの皆さんに簡単なゲームをしていただき、だんだんと輪を広げて、最終的にはこういうスポーツであることを体験していただくのが一番だと思います。そんな導入部分で悩んでいる方がいらっしゃいましたら是非参加してみてください。
また、今回も引き続きフラッグ初心者の小学生をたくさん募集しています。体験したい方、地域の子どもたちを引率して参加したい先生方、たくさんのご参加をお待ちしております。
開催要項
開催日時:平成23年11月3日(祝)午前10時受付開始 10時30分~13時まで
開催場所:川崎市立川中島中学校 地図 (学校サイトより)
主催:特定非営利活動法人エルフォスタ川崎、川中島総合型スポーツクラブ
後援:川崎市、川崎市教育委員会、一般財団法人日本フラッグフットボール協会
参加費:無料
お問い合わせ窓口:エルフォスタ川崎事務局 担当 櫻井 TEL 044(288)3888
その他詳細につきましては こちら をご覧ください。
一見すると「スポーツと環境問題」は関係がないものと思われがちだが、実は密接な関係にある。傘下のアメリカンフットボールクラブ・クラブオックス川崎AFCは「チームマイナス6%運動」から引き続き「チャレンジ25運動」に加盟している。その意図として、スポーツ活動によって生じる無駄なゴミやエネルギー消費を総合的になんとかしたい考えからだ。
実際、1回の練習や試合後に出るゴミの量は半端ではない。テーピングだけでゴミ袋1つ、その他ペットボトルなどの生活ゴミを考慮するとかなりのゴミが生じる。安全面からスポーツ活動に必要なテーピングなので減量するのは困難だが、その量に唖然とするしかなかった。
しかし、選手やスタッフへの意識浸透への道のりは長かった。具体的に何をどうやったらいいのかという目標が割り出せないでいたからだ。そうこうしているうちにあることがきっかけとなり真剣に考えるようになった。それは数年前、グランドを借りていた東京都内のある地域の大学のキャンパスでの出来事。練習に自家用車で来ていた選手がアイドリング禁止の看板の前でエンジンをつけたまま着替えていたのを注意したことだった。東京都ではアイドリング禁止条例があり、公共施設やショッピングセンターの駐車場ではエンジンを切るように定めている。ついつい車内が暑くなりエアコンをつけたままにしてしまいがちだが、日本一の交通量を誇る東京都は排気ガスの量だけでも膨大になるからだ。その選手はなかなか納得しなかったが、最後は幹部が頭ごなしに説得した。
今春、震災影響による節電でナイターが中止となった。計画停電中のナイター設備使用は市民、地域コミュニティの理解が得られないとの理由だ。スポーツの感動は人々の心を癒してくれるものではあるが、それは行い次第ではどちらにも取られかねないデリケートな問題でもある。見渡してみると他の競技でも電気を止められると成り立っていかないスポーツが結構ある。それだけ私たちは電気に総合的に依存した生活をしてきたのだ。
今年から活動の拠点としている埼玉県内の大学キャンパスへは、車の台数を制限するようにしている。車で練習場所へ出かけ、車で帰宅するのは楽ではあるが、今回は選手の側からそういう話が持ち上がってきたことに、数年前とは違う感触を得た。監督やコーチが上から言うと、選手は環境の整った他のクラブへ行ってしまう。しかし、選手自らエコの視点に立たないとクラブの体質は変わらない。特にアメリカンフットボールクラブは1度の練習で30人以上が集まるので、全員が自家用車で来てしまうとかなりのCO2を排出することになる。結局、荷物運搬用のための最低限の車で乗り入れ、一旦荷物を置いたあと最寄りの駅まで選手やスタッフをピストン輸送することになった。また、東京ヴェルディユースでは、数年前から親が車で送り迎えをすることを禁止し、子どもたちに公共の乗り物を使って練習へ来るようにしているという。
認識をしなければならないのは、スポーツ活動には少なからずゴミが出ること。そして、それを少しでも減量しようという意識を持つことが大切である。
これはドイツの哲学者ヘーゲルの「法の哲学」 に出てくる有名な言葉です。
ミネルヴァとはギリシャ神話に出てくる知恵の女神で、フクロウはその使いと言われています。人々は毎日を生活する中で様々な経験を積み、夕暮れにはひと回り賢くなっている。その賢くなった「知恵」をフクロウに集めさせるのがミネルヴァの役目でした。つまりミネルヴァのフクロウとは、彼女が正義と考えるものを基準に集めさせ、「法」というものを作り出したというのです。フクロウが夜行性の生き物となった神話のルーツでもあります。


この言葉には他にも「あらゆる事象はその歴史が終わらなければ真実の姿を捉えられない」という意味があり、学問の負う宿命を表しています。学問が真理を見出すのは、その事象が歴史的な終焉を迎えたあとのことなのです。
よく実業団チームが廃部するときに「社会の中で一応の成果をあげることができた」というコメントを発表して最後を結びます。大記録を打ち立てたことを成果ととらえるか、続けていくことを成果ととらえるかは、そのチームやクラブの歴史が閉じてみないとわからないということです。でも「かつての栄光」というのは文字にすれば1行ぐらいにしかならないことを考えると、やはりどんな規模でも続けていくことの大切さを身に染みて感じます。
話を元に戻しますと、ヘーゲルには彼なりの「正義」という概念を「世の中はこうあるべき」と説いたため、後にマルクスやエンゲルスによって批判されることになります。つまり、彼の中でミネルヴァが集めていたのは「自分の気に入った正義」「都合のいい正義」だったということでしょう
さて、「正義」というのを子どもに教えるのって難しいと思いませんか?
世の中が複雑になればなるほど難しくなりつつあります。例えば戦争を起こす国や地域はどちらも正しいと思ってやっています。鯨を捕るのがいいのか悪いのかもお互いの価値観の違いから生じています。「法」がないもの、「慣習」とか「倫理」レベルになると特に「解釈の違い」によって話が平行線になってしまいます。
それらを教えるもののひとつに「スポーツ」は大変いい材料だと思いますし、スポーツクラブはその教育の格好の場ではないでしょうか。それはスポーツにはルールがあるからで、規則に違反すれば反則をとられます。「相手をだます」という行為は日常的にはいけない行為ですが、例えばフットボールのプレーの中には「フェイク」というのがあります。ボールを持ったふりをして走るフェイクというプレーは、ルールの中で許されたトリックプレーなのです。しかし、サッカーで手を使ってしまったり、フットボールでオフサイドをしてしまったり、野球で守備を妨害してしまったり…と規則の中で明文化されている反則はたくさんあります。
スポーツはそのルールの中で許された行為で勝負する、すなわち正しいことと正しくないことを理解する入門として教育的に価値があるものです。