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私たちは「まちづくりとしてのスポーツ」という新たなステージに立ち、人々の生活に溶け込み、地域を活性化させるツールとして、スポーツの価値を見出していきます。
これはドイツの哲学者ヘーゲルの「法の哲学」 に出てくる有名な言葉です。
ミネルヴァとはギリシャ神話に出てくる知恵の女神で、フクロウはその使いと言われています。人々は毎日を生活する中で様々な経験を積み、夕暮れにはひと回り賢くなっている。その賢くなった「知恵」をフクロウに集めさせるのがミネルヴァの役目でした。つまりミネルヴァのフクロウとは、彼女が正義と考えるものを基準に集めさせ、「法」というものを作り出したというのです。フクロウが夜行性の生き物となった神話のルーツでもあります。


この言葉には他にも「あらゆる事象はその歴史が終わらなければ真実の姿を捉えられない」という意味があり、学問の負う宿命を表しています。学問が真理を見出すのは、その事象が歴史的な終焉を迎えたあとのことなのです。
よく実業団チームが廃部するときに「社会の中で一応の成果をあげることができた」というコメントを発表して最後を結びます。大記録を打ち立てたことを成果ととらえるか、続けていくことを成果ととらえるかは、そのチームやクラブの歴史が閉じてみないとわからないということです。でも「かつての栄光」というのは文字にすれば1行ぐらいにしかならないことを考えると、やはりどんな規模でも続けていくことの大切さを身に染みて感じます。
話を元に戻しますと、ヘーゲルには彼なりの「正義」という概念を「世の中はこうあるべき」と説いたため、後にマルクスやエンゲルスによって批判されることになります。つまり、彼の中でミネルヴァが集めていたのは「自分の気に入った正義」「都合のいい正義」だったということでしょう
さて、「正義」というのを子どもに教えるのって難しいと思いませんか?
世の中が複雑になればなるほど難しくなりつつあります。例えば戦争を起こす国や地域はどちらも正しいと思ってやっています。鯨を捕るのがいいのか悪いのかもお互いの価値観の違いから生じています。「法」がないもの、「慣習」とか「倫理」レベルになると特に「解釈の違い」によって話が平行線になってしまいます。
それらを教えるもののひとつに「スポーツ」は大変いい材料だと思いますし、スポーツクラブはその教育の格好の場ではないでしょうか。それはスポーツにはルールがあるからで、規則に違反すれば反則をとられます。「相手をだます」という行為は日常的にはいけない行為ですが、例えばフットボールのプレーの中には「フェイク」というのがあります。ボールを持ったふりをして走るフェイクというプレーは、ルールの中で許されたトリックプレーなのです。しかし、サッカーで手を使ってしまったり、フットボールでオフサイドをしてしまったり、野球で守備を妨害してしまったり…と規則の中で明文化されている反則はたくさんあります。
スポーツはそのルールの中で許された行為で勝負する、すなわち正しいことと正しくないことを理解する入門として教育的に価値があるものです。